真犯人を捕まえようとしない警察の闇◆『殺人犯はそこにいる』清水 潔

書評やレビュー欄で絶賛されていたのでいつか読みたいと思っていたのだけど、事件を追ったノンフィクションだけに時期を逃すとつまらなくなるかなと心配だった。結果的に、出版されてから2年過ぎた今も、真犯人は捕まっておらず、今読んでも胸に迫る渾身の1冊となっている。これだけの内容なら事件が解決して増補版が出てから読んでもたぶん、遅くはないと思う。

一人のジャーナリストが、番組作りのために取材する未解決事件を探しているときに奇妙なことに気付く。ごく近い範囲で起きた5件の幼女誘拐事件。4人は遺体で見つかっており、一人はいまだに行方不明のまま。誘拐時の状況や遺体発見現場の状況などから連続事件と思われる。しかし、そのうち一件についてはすでに犯人が逮捕されて刑も確定している。世に言う足利事件である。それゆえ、連続殺人事件ではないとされてしまっている。なんとも不可解。

そんなところから取材を開始して、関係者への地道な聞き込みによって判明する事実、DNA型鑑定の不確かさ、警察の強引な捜査や取り調べなど次々と出てくる証拠に、逮捕された人物は冤罪ではないかという疑念を抱き、まずはその人物、菅家利和さんの無実を証明するために奔走する。そしてついに無罪となって釈放。

それだけでも十分ドラマチックなのだけども、著者の最終的な目的は連続誘拐殺人事件の犯人逮捕。5件の事件を連続事件として真犯人を追い、そしてついにそれらしき人物に辿り着く。直接、その人物に話しを聞いてもいる。警察にもその情報を伝えているにもかかわらず、逮捕もされず、事態は動かない。

その裏には足利事件と同じように初期のDNA型鑑定を証拠採用し、すでに死刑が執行された飯塚事件との関連が見え隠れする。足利事件とは違い、DNA型鑑定以外の証拠も揃っているという飯塚事件。しかしこの事件も現場を訪ね歩いて取材を進めるうちに、過去の報道の内容や警察の発表とは違う事実が発覚。もしやこの事件も冤罪なのでは。初期のDNA型鑑定の信憑性がゆらげば、飯塚事件の判決もゆらぐ。警察はこの事件の真相を隠蔽するために、DNA型鑑定の信憑性が根底から覆されるおそれのある連続幼女誘拐殺人事件の犯人逮捕に及び腰なのではないか。

冤罪、死刑、警察の強引な取り調べ、思い込みによる杜撰な捜査。1冊の中に様々な問題が凝縮されている。「事実は小説よりも奇なり」と言うけれど、まさにその通りで、そんじょそこらのミステリー小説よりもずっと劇的で衝撃的な内容。これが実際の事件であるという重み。今も苦しんでいる遺族がいるという事実。そして居場所が突き止められている真犯人(とおぼしき人物)はまだ捕まっておらず、普通に生活をしている。

以前、大学の授業かなにかで聞いた気がするのだけど、本来、捜査を担当する「警察」は、被告人の利益になる証拠も不利益になる証拠もすべて「検察」側と「弁護」側に提供しなければいけないはずなのだそうだ。しかし、実際は「警察」と「検察」はタッグを組んで、有罪になる証拠のみを裁判で提示して、自分たちに不都合な証拠、被告人に有利になる証拠は出さない(どころか隠蔽することもある)。こういう司法のゆがみのようなものが、結果的に冤罪事件を生み出すのではないかと、この本を読んで改めて強く思ったのだった。