悲壮感のない連続殺人◆『毒婦』北原 みのり

金を巻き上げた上で次々と殺害した(とされる)木嶋佳苗死刑囚の裁判傍聴記録。著者の北原みのりさんは1970年生まれの女性。木嶋佳苗は1974年生まれで私と同い年。同世代の女性目線での裁判のレポートに共感するところが多かった。

なんというか、検事も弁護士も男性率が高いなかで、被告人の女性と同年代で同時代を生きてきた女性目線で見た突っ込みが的を射ていて、なんだか爽快で面白い。いや、事件自体は悲惨だし、本書の内容もしごく真剣でまっとうなのだけど、どこか現実離れしていてコミカルな印象を受けるのだ。

「事実は小説よりも奇なり」と言うけれど、これが小説だったら逆に「ありえないでしょ」と思ってしまいそう。とにかく、主人公の木嶋佳苗が魅力的というか個性的。外見は美人とはほど遠いのに、しぐさや声は上品で優雅。検事の恫喝的な質問にも一切動じず、悠々と質問に答える様子に憧れすら抱く。

そしてなぜか殺された人も含めて木嶋佳苗にお金をあげた男性達に悲壮感がない。むしろ幸福感を感じる。木嶋佳苗が男性達に与えていたのはお金以上のものだったのかもしれない。

メールでの誘いの文章、お金を振り込むようにお願いするやり方、嘘のつき方、セックスするかどうか、などなど、ターゲットとなった男性それぞれに合った方法で近づき、心(と身体も?)を虜にして、驚くほど短期間でお金を引き出してゆくその才能。なにか他のものに生かすことはできなかったのかと思うのだけども、今となっては後の祭り。

料理もうまくて達筆で、おそらく洋服のセンスなどもそれなりによかったのだと思う。和歌や芸事にも秀でていないとなれなかったという、昔の花魁のよう。そういうところに、同年代の女性達が惹かれる要素があるんじゃないかと思う。

同じように才能があっても、社会的に成功した女性に対しては劣等感を抱くのだけども、木嶋佳苗の場合は逮捕され死刑を求刑されるという、明かに反社会的であるがゆえに、一応、まっとうに生きている身としては(才能がなくとも)優越感は維持していられる。

だからこそ、木嶋佳苗の裁判には佳苗ガールズと呼ばれるような女性たちが多く傍聴に訪れたんじゃないかとも思う。彼女たちは、佳苗のような才能はないけれども、少なくとも自分は反社会的なことはしないで生きているという優越感を感じたかったのかもしれない。