ほっこりとじんわりと◆『矢部太郎の光る君絵』矢部太郎

大河ドラマ「光る君へ」の毎週の放送後にSNSに投稿された、矢部太郎さんのイラストを1冊にまとめた本。毎回、楽しみに見ていたのだけど、ドラマ各回を思いだしながら、紙の本でじっくり堪能。

ドラマの裏側も垣間見られる、矢部さんのほっこりするマンガもたっぷり収録されていて嬉しい。そして、最後はじんわりと暖かい。

イラストのタッチが、線画ではなくて、淡い色調で水彩画のように表現されているところに、このドラマに対する矢部さんの思いや感想が詰まっているように感じた。ドラマを見てないと、どんな場面なのかわかりにくいのだけど、見ている人にとっては、ああ、この場面かぁとわかるような表現も面白い。そして、ドラマの画面とは違う視点から描かれているものも多い。それは実際に演じていた矢部さんが見た風景だったり、複数の場面を組み合わせたものだったり、希望や物語の背景を描き混んだものだったり。

矢部さんの本は電子書籍で買ってるのだけど、これは紙の本で買って正解だった。装丁は名久井直子さん。

母と娘と家族の物語◆『母という呪縛 娘という牢獄』齊藤 彩

ネットで話題になっていたので読んでみた。長年、母からの教育虐待を受けていた娘が母を殺害して遺体を切断、遺棄した事件(滋賀医科大学生母親殺害事件)を取材したノンフィクション。

刑が確定して服役している娘への面会や手紙のやりとりを経て、その内容をまとめたもの。

娘を医師にしたいという母の希望を叶えるため、医大を受験して9浪、その後に看護学部に入り、卒業後は手術室の看護師になりたかったものの、助産師の学校に入ることを強要され、その受験で落ちた直後に母を殺害。殺害に至るまでの経過も含めて、衝撃的な事件。そして、報道される記事だけではわからない、事件へ至るまでの長年の母と娘と家族の物語。

母と娘の話ではあるけれど、母は亡くなっているので、その主張を聞くことはできない。ここに書かれているのは、娘から見た母の姿。殺害後にSNSに「モンスターを倒した」と投稿したように、娘にとって母は「モンスター」だった。経緯を見ても、たしかに、モンスターとしか表現できないような、娘への異常な執着、身体的、精神的な束縛。同情する面は多々ある。

では、この事件を防ぐ手立てはなかったのか、と考える。事件は起こるべくして起こったのか、必然だったのか。

たしかに、母は異常だったけれど、ほぼ別居状態とはいえ、金銭的な面で生活を支えていた父(娘との関係も悪くなかった)、海外に住む祖母(母の母)も裕福で、折に触れて金銭の援助をしたり、手紙などのやりとりもあった。

娘は母に進路を強要されていたものの、予備校や大学に通ったり、アルバイトをしたりして、外部との接触や社会経験がまったくなかったわけではない。事件当時は30代に入っていて、判断が未熟な子どもでもない。実際に看護学科には首席で入学したというから、医大に落ちていたとはいえ、学力が低かったわけでもなかったと思う。

大学で看護師の資格を取り、母の殺害後も、それが発覚して逮捕されるまでの数ヶ月、看護師として働いていた。母を殺害せずに、外部に助けを求めたり、自立したりする道もあったのではないか。それでもどこに逃げても母が追ってくると思ったのかもしれない。いままでの母の行動を考えると、実際、そうしたかもしれない。

それでも、殺害して、遺体が見つからなかったとしても、人間ひとりが消えたらそれを隠し通すのは難しい。母が生きているように装って、母の友人などと母の振りをしてLINEのやりとりをしていた娘。それを、いつまで続けるつもりだったのだろう。

事件後、父や祖母も親身に娘の身を案じている。殺人犯として縁を切るわけでもなく、物資などの差し入れ、面会など、積極的に支援している。こんな人たちが周りにいたのに、なぜ、母娘のゆがんだ関係を正せなかったのか、娘を、母を、救い出せなかったのか、と歯がゆい。

母と娘、両方とも、被害者で加害者。どちらも救う方法が、きっとあったと思う。そう思えるのも、この本の内容が、娘の心の内を読み解き、事件の核心に迫ったものだったから。一審でかたくなに殺害を否認(母は自殺と主張)した娘が、控訴審で殺害を認めた経緯も興味深かった。母とのゆがんだ関係からの人間不信が、裁判官の説諭や父の支援を通して少しずつ氷解していく様子に、救いを感じる。

(電子書籍で読了)

当事者文学◆『ハンチバック』 市川 沙央

なんともいえない読後感の悪さ。身体に重い障害を持つ作者が書いた当事者文学、という背景を知って読むのと知らずに読むのとでは印象が違いそう。

第169回芥川賞受賞作。賞を取ったことで注目され、話題になったので読んでみた。

物語は入れ子構造になっていて、それほど目新しい展開があるわけでもなく、なんとなく、結末も、ああやっぱり、という感じではあった。とはいえ、健常者には見えない世界を描いた問題作という意味では記憶に残る一作だろう。

性的な描写の過激さに引きつつも、障害者と性について、あまり表に出てこない「シモ」の話を全面に出して、その背景にあるもっと一般的な、たとえば読書についての部分(本の重さが読書の障害になる)がクローズアップされたように、健常者と障害者の間にある「障害」について目を向けさせるのが狙いなのかと思いながら読んだ。

これはノンフィクションでも私小説でもなく、フィクションの小説。なので、著者の属性(障害者かどうかとか、性別とか年齢とか)に関係なく、読み出したらストーリーに没入してしまう、というのが理想なのだけども、どうしても、「当事者が書いている」ということを意識しながら読んでしまった。単純にそういう情報が先にあったからなのか、ストーリーに入り込めなかったからなのかよくわからない。両方かも。

障害者イコール弱者、守られるべき清い存在、というイメージをぶち壊し、心の中にあるドロドロしたヘドロのような部分をさらけ出す。読んでいると、だれでもが持つ鬱屈した感情が湧き出る。そこに救いはない。だから、きっと、読後感が悪いのだ。

(電子書籍で読了)

戦争のリアル◆『同士少女よ、敵を撃て』逢坂 冬馬

舞台は第二次世界大戦時のロシア。迫り来るドイツ軍と戦うロシア軍にいた女性による狙撃部隊。戦争によって家族を失い、孤児となった少女たちは厳しい訓練を経て、狙撃兵として戦場に送り込まれた。

ロシアによるウクライナ侵攻の前に書かれた作品なのだけど、不思議なほど、現在の状況とオーバーラップする。戦争の兵器や目的などは現代とは違うのだけど、戦争による虐殺、レイプ、理不尽な命令、結局、人間のやることは今も昔も変わらない。戦う意味、生きる意味を考えさせられる。

孤独な少女たちは、狙撃兵となって、救われたのか。戦争中は何人殺したかが評価の基準だったけれど、戦後に彼女たちはどう生きたのか。

ドキュメンタリーとも違う、フィクションの世界だから描けるリアルがある。人を殺すということの葛藤、敵にも味方にもそれぞれの事情があり、それぞれの思いがあり、登場人物たちの、血の通った人間としての苦悩も喜びも生き生きと描かれている。

終盤での驚きの展開にドキドキしながら、読了した。生き残ったものたち、戦闘で死んだものたち、どちらも無駄な命ではなく、価値のある「生」だったと思える結末だった。

終戦後に平和な世界を生きる登場人物たち。まさかその数十年後に再び戦闘の世界がくり広げられるとは思っていなかっただろう。人間は、同じ過ちを何度も繰り返す。

(電子書籍で読了)

女性が虐げられる世界◆『侍女の物語』マーガレット・アトウッド

Huluが制作したドラマ「ハンドメイズテイル」の原作。

小説が発表されたのは1985年で、ベストセラーになったそうだけど、あまり記憶にない(当時子どもだった)。その後(大人になってから)どこかで書評を見かけて気になっていたところに、WOWOWでこのドラマの放送が始まったのでシーズン1から3まで見た。シーズン4は米国でこれから配信予定のよう。

シーズン1の放送を見て、原作を読みたくなって探したのだけど、そのときにはまだ電子書籍版がなくて断念。最近また探してみたら電子書籍版が出ていたのでさっそく購入した。

出生率が下り、出産できる女性が、子どもを産む役目を負うために侍女として政府高官の家庭に派遣される仮想世界。ディストピア小説なのだけど、既存の国を廃して、ある宗教観に基づく新しい国が作られるという設定なので、現代と地続きの世界。しかも女性の地位や権利は著しく低く、出産できない女性たちは料理や家事を担う女中として働かされているし、また高官の妻たちですら自由が制限されている。女性は文字を読むことを禁止され、違反すれば厳しく罰せられる。

ドラマでは小説の設定を踏襲しつつ、かなりストーリーが膨らませてあって、見応えがある。先にドラマを見てしまったので、小説のほうではどうなっているのかと気になりつつ読み進めたけれど、全体的な世界感やメッセージはドラマも小説も同じように感じた。

小説ではほんの少ししか触れられていないようなエピソードをドラマ版では大きく取り上げていたり、少し設定を変えたりはしてある。なので、ドラマで見たエピソードはこのたった1行の部分から膨らませたのか、と感慨深く思いながら読むところが多かった。

ドラマで見ているせいもあるかもしれないけれど、30年以上前の小説とは思えないくらい、現代にも通じるテーマと内容で、世界はあまりよくはなっていないのだと絶望感にもさいなまれる。

小説は最近になって続編が発表されているのでそちらも読みたい。ドラマにも反映されているのかな。

(電子書籍で読了)