わたしが思う、いい病院といいお医者

一昨日、病院のことを少し書いたのだけど、他にもいろんなことを思い出したので、病院についてもう少し書いておくことにする。

いい病院ってどんな病院か。

1,受付を含めて病院の職員が親切。ケース・バイ・ケースで行動してくれる。マニュアル的じゃないってことね。

2,混んでいない。医者と患者の数が適正ってことだと思うんだけど。混み過ぎてるところは明らかに医者の数が少ないと思う。

3,待合室に面したところに気軽に声をかけられる職員がいる。具合が悪くなったときに対応してくれたり、待ち時間を問い合わせたりできるといい。

4,プライバシーが守られる。診察室の会話が外にもれるのは論外。

5,病気のことや診療方針、薬の副作用などについて詳しく説明してくれる。これは基本。

6,病棟の病室のひとり分のスペースが広い。個人的には、できれば個室がいい。

他にもいろいろあるんだろうけど、私が感じたのはこういうことだった。私が通っていた地元の大きな病院(公立)はこの中でクリアしていたのは最初のひとつだけ。看護師さんたちは忙しそうで声がかけづらかったのだけど、忙しいなかでも親切に対応してくれた。

5の説明については先生によってかなり違う。説明の仕方も先生によって違うと思う。だから、これはよい病院というよりもよい医者の基準かも。最近はどこの病院もインフォームドコンセントに力を入れている模様。だからといって、その病院のすべての医者がそれを果たしているとは限らない。患者との相性もあるので、医者によると思われる。患者側から医者にいろんなことを聞く努力も必要かもしれないと最近思う。私自身はあまり自分から余計なことをペラペラしゃべる方ではないので、医者から説明を引き出すのには苦労する。できれば何も言わなくても余計なことまで全部説明してくれる医者がいい。ただし、知識を披露するのとは別。医者も最終的には人柄よね。

2の混んでいる病院については、普通に考えたら繁盛してるってことでいいお医者さんなのかもしれないけれど、あまりに混んでいるのは問題あり。私が通っていた病院、内科は特に混んでいるみたい。初診だとその日の初診担当の先生が診てくれるので、受付の順番通りなのだけど、他の先生はそれぞれ予約制で、予約ナシで行くとかなり待たされる。

中には予約外の患者さんは午後からしか診察しないという方針の先生もいるようで、朝早くに来て受付を済ませたのに、診察は午後ということも稀ではない。しかも午後になると分かっているのに、患者には何の説明もないからひたすら待合室で待たされる。先に言ってくれれば、一度家に帰るとか対応できるのに。私も一度予約外で受診したとき、朝の7時半に受付して診察は午後1時か2時だった。予約外というのは、体調が悪くなって緊急に診てもらおうと思って来ているのに、そんなに待たされたのではたまったものではない。にもかかわらず、どういう状態なのかの確認もなく長時間待たされたのだった。しかも、どうやら私の順番はその先生の予約外の患者さんの中では一番だったようだ。という事は、私より後に受付した人はさらにその後の予約患者さんの診察の合間に診てもらうことになり、待ち時間も相当に長そうだ。

待合室は混んでいて、いろんな病気の患者さんがごったがえしている。私は免疫が低下する薬を飲んでいるので、普通の人よりも風邪などにかかりやすくなっている。どんな重大な感染症の菌が飛んでいるかわからない待合室で長時間待たされるのはかなり不安だった。ホントに。

そして3のことに結びつくのだけど、そんな待合室に気軽に問い合わせられる人がいればいいのになぁといつも思っていたのだった。待合室はまたされっぱなしで、ときどき出て来る看護師さんはなんだか忙しそうなんだもん。

近隣に他に病院がないわけではないのだけど、交通の便が悪かったり、規模が小さかったりしてこの病院に患者さんが集中してしまっているみたい。なんとかならないものかと思う。

4のプライバシーについてはもう、最悪で、中待合という診察室の前の待合室にいると、診察室の会話が丸聞こえ。隣の診察室の会話も丸聞こえ。人の診察内容を聞いている分にはいいのだけど、その調子で自分の診察内容も聞かれていると思うと怖い。何かの偶然でよく知っている人がいるかもしれないし。産婦人科だと前の人の妊娠検査の結果がわかっちゃったり、なんだかマル秘な内容も聞こえちゃうし聞かれちゃう。内科でも「生理はどう?」なんていう会話が中待合にいるおじさんにかかれちゃってるのだ。

6の入院したときの部屋の広さというのも、プライバシーの問題。昨年入院したときは6人部屋だったのだけど、カーテン一枚で仕切られてる上に狭い。もう、嫌がうえにも同室の人と協調しないとやっていけない。協調性があるなしじゃなくて、やっぱり四六時中あかの他人と一緒にいたら疲れる。病気の上にそんな精神的な苦労を強いられるのだ。ま、これを苦労と思わない人はいいのだけど。それにしても、私が入院していたところは他の病院では4人部屋程度の広さだと聞いたので、かなりひとり分のスペースがかなり狭かったと思う。看護師さんが毎日トイレの回数やら体調やらを聞きに来るので、病状も筒抜け。見舞いに来てくれた人もどんな関係なのかいちいちチェックされてしまう。1ヶ月もいたら耐えられなくなって、一刻も早く退院したかった。

余談だけど、そのときに同室だった人で抗がん剤の点滴をしている人がいて、その副作用が見ていてかなり辛かった。前日はとっても元気ですごくおしゃべりだったのに、点滴した日は寝たきりで食欲もなくなってしまう。それで病気が治ればいいのかもしれないけれど、たとえその過程だとしても、なんだかこういう治療法って自然じゃない気がする。本当にその薬を使って、そんなに苦しむ価値があるのかって考えてしまう。その判断は患者本人がするのだろうけれど、医者に言われるままに抗がん剤を使って、副作用に苦しんで、それだけのリスクを負う価値のある治療法なのか考える余裕をあたえられないっていうのは嫌だ。やっぱり自分で納得してから治療に望みたい。もしかしたらもっと穏やかに自然に治療する方法があるかもしれないし、患者にもっとたくさん選択肢があったらいいのに。

辛い治療をして病院で辛いのを我慢して長生きするよりも、少しでも長く自分らしく生きている時間を持っていられる方がいい。たとえ健康でも、災害や事故で明日死ぬかも知れない。だから、一日一日を大事に生きることに変わりはないと思う。将来のことを考えるのも楽しいけれど、最近は、今日一日がいい日だったな、と思えることが嬉しい。そんな風に物事を考えることができるようになったので、病気も悪くないなと思うのだ。

そうそう、病気になった人がよく「なんで私がこんな病気に…」って思うらしいのだけど、私はあまりそういう風に考えない。そう思わない訳ではないのだけど、なんで私が…って考えたって、その理由が分かることはないんだから考えるだけ無駄なのだ。考えれば考えるだけ時間が無駄。そういうときは、治ってから病気だったときのことをネタに面白おかしくしゃべっている自分を想像してみる。そうすると、病気になった人しか体験できない貴重なネタを探すので、病気を楽しむことができるのだ。ネガティブな気分になったときは、治った時のことを考えるのが一番いい。一番悪いのは、病気になる前はよかったなぁと思うこと。前はできたのに今できないことがいろいろ思い浮かんでしまってどんどん暗くなるので要注意。うーん、なんだか若い頃を思い出して「あの頃はよかったなぁ」と思うおじさんと同じかも。あと、病気にならなければこうだったのに…っていうのもダメ。もっと若かったらよかったのにって思うのと一緒。今できること、今しかできないことをやるしかないのだ。ふんふんっ(鼻息)。