スカッと痛快◆『ウェブはバカと暇人のもの』中川 淳一郎

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ウェブはバカと暇人のもの (光文社新書)

  • 中川淳一郎(著) 
  • 光文社
  • ¥ 798 [新書] 2009-04-17
  • ISBN:9784334035020 / ASIN:4334035027

書店でタイトルを見て膝を打ってしまった。だって、まさに私が思っていたこととドンピシャ。いえね、だいぶ前から気付いていたのよ。ウェブなんてくだらないものだらけ。忙しい人はネットにどっぷりはまったりしない…って。私が書くブログのネタでアクセス数が多いのは料理とペット、それとデジモノ関連。読んだ本の感想だとか演劇や映画の感想は料理やペットネタに比べるとがくんとアクセス数が落ちるのだ。ましてや美術展の感想なんて惨憺たるもの。アクセス数だけ稼ぎたいなら、美術展の感想なんて書くだけ無駄だとすら思える。

料理とペットと言ったって、そんなに特別なことを書いているわけではない。誰にでも思いついて、そこらへんの家庭で作っているような簡単なレシピを載せたり、どこかで食べた料理の写真を載せたり、ただかわいいだけの犬の写真を載せたり、どっかに行った旅行記を載せたり。そういう記事のアクセス数が伸びると、「ああ、私のブログを見てる人々というのは小難しい理屈を並べた文章や、何か役に立つ情報を求めているわけではなく、ただなんとなくさらっと読めるもの、おいしそうだと思えるレシピ、単純にかわいい~と思える(癒される?)画像を求めているだけなのだ」と痛感する。

それがいけないわけではないのだけど、せっかく専門的な知識を駆使して書いた文章もたいして求められてないんだと思うとちょっと凹むこともあった。考えてみれば、私の「専門的な知識」なんて、世に出ている専門家が書いた専門書に比べたらゴミみたいなものだから当たり前と言えば当たり前なのだった。

ブログを始めて数ヶ月後には、要するに、個人のブログに求められている物というのは、(くだらないとまでは言わないが)「たいして価値のない物」「どうでもいいもの」言い換えれば「暇つぶし」なのだと悟った。つまり、ネットというのはそんなに高尚な物ではなくて、庶民の暇つぶしの道具なのだ。

そうか、それならそれでバカになってやろうと思う。同じアホなら踊らにゃ損々ということで。ひとりでバカなことを書いているよりはバカを共有したほうが楽しい。ネットのヘビーユーザーというのは、今更指摘されなくともそういうことを分かっていると思う(そこまでバカではない)。わかってて踊ってる人が大多数。そのなかで分かってない人が少数派。その少数派が本当のバカをするのかもしれない。

もちろん、インターネットというもの自体はとても便利なものだと思う。無料で簡単に情報収集ができるし、遠方の友人とも即座に連絡が取れたり、家に居ながらにしてショッピングができたり。が、そこに集ってあれやこれや書き込んだりしている人たちは玉石混淆。非常に頭がよくて意識が高い人たちも、もちろんいる。しかし、大多数は「バカと暇人」だという著者に「同感!」と思わず手を挙げてしまいたくなるのだ。「バカ」というのはキャッチーな言い方だと思うが(新書のタイトルはキャッチーでないと売れない)、要するにくだらないことが好きな人たちが大勢集まっているのだと思う。ネットで高尚なことをやろうとしても失敗するというのは、長年ネットにどっぷり使っている身としては感覚的にとてもよく理解できる。

なかには頭がいい人だって少なからずいると思うが、どっちにしろ、バカなことが好きだったり、くだらないことで大喜びする人たちなのだ。お笑い番組を見てガハガハ笑ってストレス発散している人たちとよく似ている。それは実にくだらないけれど、別に悪いことではないし、堂々と「趣味はお笑い」と言うのと一緒で「趣味はインターネットです」と言ったっていい。

こういう人たちは、ネットに高尚ななにかを求めているわけではなく、ただ単に面白いもの、暇つぶしになるもの、ストレスを発散させてくれるようなもの、荒んだ心を癒してくれるようなもの(動物の写真とかちょっといい話とか)を求めているのだ。

そして、ブロガーと呼ばれる人たちやネットのクチコミに貢献するヘビーユーザーというのは大半がこういう人たちなのではないかと思う。

ネットの世界をよく知らない人、例えば大企業のエライ人なんかは簡単に「ネットを使えばなにか新しいこと、すばらしいことができるのではないか」という“ ネット幻想”を持っている人も多いのかもしれない。そして人気のブロガーたちは流行に敏感で先鋭的な感覚を持っている、なにか特別な人たちだと思っているのかもしれないが、大多数のブロガーというのはきっと、面白いこと、くだらないこと、どうでもいいけどちょっと暇つぶしになったりちょっと癒されたりするようなことを書いているのだ。そうでないとアクセス数が伸びないから、人気のあるブログほどこの傾向は強いと思う。

小難しいことを書いていて人気もあるというのは、ある一線以上のレベルの高い記事を書いているブログである。こういうブログの筆者は、ブログを抜きにしてもその世界で一定の評価をされている本職の人たちだろう。だから、すでに有名人である可能性が高い。まったく無名の人が評価されることもあるかもしれないが、評価された時点で著名人の仲間入りをするだろうから無名の人が無名のまま小難しいブログで人気を得るということはあまり想像できない。

この本は、「バカ」や「暇人」を揶揄しつつも、ネット世界にどっぷりつかっている著者自身の自嘲も籠もっている。そしてその実は、企業イメージを壊さないようなキレイゴトの企画でネットユーザーたちの心をつかめという無理難題を突きつける、ネットをよくわかってない大企業のエライ人たちに向けて「ネットなんてくだらねーんだよ、バーカ!」とケツを捲っている本なのだ。…と思う。

ブログを毎日書いている私も暇人の一人であるが、他人のブログにコメントをつけまくっている(これをやるとお返しコメントがつくので自分のブログのコメントも増える可能性が高い)人たちや、SNSに常に書き込みしている人たちも相当な暇人だと思う。自分のことは棚に上げて、あなたたち仕事してるの? 子育ては? 家事は? と聞きたくなるのだ。そして、よくよく見回すと、本当に忙しい人(ブログに書くネタには一生困らないだろうと思えるような人)たちは“忙しすぎて”ブログを書いたり、ネットを見たりする余裕すらない。というかリアルな生活が充実しているからブログで何かを発散したり素人の他愛のないサイトをじっくり読んで充電する、なんて必要性がないのだ。そういう人たちにとって、ネットはただ単に情報を得るだけのものだったり、友人と連絡を取る手段だったり、ネットショッピングの道具だったりするのだろう。

本の中には書かれていないが、私の実感としては「暇人」のなかにはかなりの割合で「病人」が含まれている。私もその一人。病人は暇なのだ。心や体を病んだ人たちが簡単に情報を収集したり交換したりする手段として、ネットは非常に有効だ。簡単に外出したり、フルタイムで仕事をしたりできない、通常の方法では社会参加が難しい人たちがネットに依存する率が高いのは当然だと思う。ネット以前はそういう場がなかった。だから、そういう意味ではまだまだそこにのりしろがあって、ネットの可能性があると思う。

ネットの世界というのは現実世界の縮図ではない。ネットのヘビーユーザーの属性を詳細に調べればそれはわかると思う。現実社会に比べ、主婦層など時間が余っていてある程度コンピューターの知識がある人たち、それとパソコンなどデジタル関係に詳しかったり感心が高かったりする人たち、そして病人の割合は高いのではないかと思う。とりこぼされているのは、デジタルに疎い高齢者層、まじめにきっちり働いていて精神的、時間的にネットを見る余裕のない人たち(実はこういう人たちが企業が想定する一番の購買者層なのではないかと思う)、それとネットに繋ぐためのハードやソフトにかける資金の余裕がない人たち。インターネットの世界というのは、偏った属性の人たちが集まる場所である。

本の中に、テレビとネットのヘビーユーザーはかぶっているという記述があって、なるほどと思った。どちらも基本的に無料。新聞や雑誌は有料の情報なので、ネットユーザーとはかぶらないそうだ。だから、テレビ発の情報はネットにあふれているが、新聞や雑誌が発信源の情報というのはネットにはほとんどないらしい。そう言われてみればそうかも。

私は以前から、紙の新聞も書籍もなくならない、と言っているのだけど、それを裏付けるような説でかなり心強い。新聞や雑誌を買うのは、ネットを見ている暇がなくて情報に対してお金を払ってもよいという人たち。一方、ネットのヘビーユーザーには「無料」というところが肝心なのだ。

そう考えると、ネットでの有料サイトというのはどうもうまくいかないだろうと想像できる。他の人はどうなのかわからないけれど、私の場合は、有料サイトと契約するよりは、紙媒体の新聞や雑誌を定期購読するほうがいい。信頼性もあるし、全体を俯瞰的に見ることができる。よく、新聞で読んだ記事をブログにリンクするためにネットで探すのだけど、同じ記事でもネットで見るのと新聞で読むのとではだいぶ印象が違うことが多い。ネットで先に新聞社のサイトを覗いてから新聞を読むこともあるが、ネットでは気付かなかったけれど、新聞で見つけて興味深くじっくり読んでしまう記事も多い。

書籍だって、全文をネットに載せたら売れなくなるというけれど、本当によい本ならそんなことはない。青空文庫に載っている名作たちが売れなくなったなんて聞かないし。ネットで全文を読むのってかなり大変なのだ。さわりを読んで面白そうだと思ったら、買って読む。さわりすら読めなかったら内容がわからないので買う気にはならない。高い本ならなおさら。

売れなくなる本というのは、内容がくだらない(買う価値もない)と判断された本で、ネットでの全文掲載が一般的になれば本の淘汰が進んでよいのではないかとすら思う。

面白いのはテレビの情報はネットにあふれているが、ネットの情報はテレビには流れないことが多いということ。テレビCMで流行したことは一般的に多くの人に知れ渡っているが、ネットで流行したことは、そうとうヘビーなネットユーザーでないと知らないことが多い。中川翔子や眞鍋かをりなどがブログの女王と呼ばれていることは知っているかもしれないが、実際にそのブログを読んだことがある人はどれくらいいるだろう。ましてや、毎日チェックしてるという人に出会うのはかなり確率が低い(私の知り合いでひとりだけ、中川翔子のブログが好きだという友人がいるが、かなり例外的なのではないかと思う)。

一方、テレビの場合は朝の情報番組は毎日見てるという人は多いし、友人と会えば「昨日の大河ドラマ見た?」と気軽に話すし、知人がビートたけしの番組に出ると言うと「見る、見る」という答えもあれば「あ、その番組毎週見てるよ」と言われたりもする。その番組自体を知らないという人は皆無だった。ネットだったら、知人が載っていると言っても、まずそのサイト自体を知らない人が多いだろう。そして、「昨日のショコタン(中川翔子)のブログ見た?」などとは気軽には話さないのである。そもそもショコタンのブログは分単位で更新されているので「昨日の」などと言うのが間違いなのだが。

とにかく、ネットの世界というのは、ネットの世界にどっぷりつかっていない人が思うほどすごいものではない。万能ではないのだ。ネットCMやネットを使ったキャンペーンなどよりテレビCMやテレビ番組の影響のほうが絶対的に大きいのだ。大企業のエライ人たちはそこを勘違いしてはいけない。

梅田望夫氏の「ウェブ進化論」や「ウェブ時代をゆく」を読むと、ウェブの可能性についてポジティブに言及されていて夢が膨らむのだが、それはネットを“高尚に”使いこなせる一部のユーザーにとってであって(それでもその一部の人の恩恵を間接的にでもその他大勢の人も受けると思えば意義のあることだと思う)、大多数の庶民にとってはあまり関係のないことなのではないかという気がする。

ましてやネットを使って庶民を巻き込んで何かをしたい企業とか、宣伝をしたい企業にとっては直接的には何の役にも立たないのではないかと思う。

梅田氏が提唱するネットの便利な側面というのは、聞いていると確かに便利だし仕事の能率アップには非常に有効だと思う。だが、実際に生活者の視点で考えるとそれは絵に描いた餅のようなものだ。だって、その大前提は、ネットに常に繋がっている、もしくは毎日のようにネットをチェックする、ということだから。

ネットを介して瞬時に書類のやりとりができたり、ネット会議のようなもは私のようなヘビーユーザー(もっとヘビーなユーザーはたくさんいるが)にとっては非常に便利なシステムなのだが、相手がネットに繋がっていなければ何の役にも立たない。仕事で使っていれば常にネットに繋がったパソコンがそばにあって、そういうシステムが機能するのだろうが、そうでない場合、ヘビーユーザーのほうが少数派なのでうまくいかない。なにか市民レベルで企画を立てようとしたときにこういうシステムがある、と提案したとしても中心となる人たちすべてがネットを利用しているという可能性は低い。

例えば、マンションや地域の自治会の連絡網をネットで作ろうとしてもうまくはいかないだろう。ネットを利用していない人が何割かいるだろうし(導入に費用などがかかるので無理には勧められない)、利用していても自在に使いこなせるレベルの人はごく少数なのではないかと思う。メールくらいならなんとかなっても、SNSに登録したりログインしたりするというのすら難しいという人も多い。うちの母の場合はショッピングモールの会員登録すら大仕事だった。

また、ネットでのやりとりには暗黙のルールのようなものもあり、それを知らない人同士だと無用の摩擦や衝突が考えられる。携帯からの短い返答にパソコンユーザーがイラッとしたり、なんて日常茶飯事なのだ。

そんないざこざの処理などに余計な手間暇をかけるくらいなら、普通に回覧板を回した方がよっぽど話が早い。結局は従来通りのリアルなやりとりが一番効率がよいのだ。

「私たちの人生、なんとリアルな場の占める割合が多いのだろうか。これら人生の大部分を占める要素にネットはどれだけ入り込めたのか?

大したことはない。
かなり入り込まれている人はヤバい。
もう少し外に出て人に会ったほうがいい。
なぜなら、ネットはもう進化しないし、ネットはあなたの人生を変えないから。」

この本の結びの文章に激しく共感。ネットにのめり込むほどに、リアルな世界の大切さは痛感する。

「凡庸な人間はネットを使うことによっていきなり優秀になれるわけではないし、バカもネットを使うことによって世間にとって有用な才能を突然開花させ、世の中によいものをもたらすわけでもない」

「・ネットはプロの物書きや企業にとって、もっとも発言に自由度がない場所である
・ネットが自由な発言の場だと考えられる人は、失うものがない人だけである」

そうそう、そうなのだ。ネット神話なんて、ない。ネットは自由じゃない。ブログの内容なんて当たり障りのないことだらけ。だって、あらゆる人に全方位的に配慮しなきゃいけないんだもの。

犬を放し飼いにしているってだけでクレームの嵐が巻き起こるのを見て驚いた。あんた、実際に見たんかい!? って言いたくなる。神奈川県では放し飼い(ノーリード)は条例違反ではあるのだけど、歴史的経緯からして犬の放し飼い自体は珍しいことでもなんでもない。農家では野生動物を追い払う番犬として飼っていた犬は繋ぎっぱなしでは用をなさない。今ではそういう飼い方は時代錯誤だが、放し飼い自体に対して(よっぽど凶暴そうな犬でなければ)一般的には寛容である。(だからと言って条例違反を推奨するわけではない。放し飼いは、犬の安全を守るためにもやめたほうがいい)

実際に放し飼いにしている現場を目にして、まったく関係のない第三者が飼い主に直接注意したり警察に通報したりすることって、どれくらいあるのだろうか。のどかな田舎だということもあって、私も何度か放し飼いの現場を目撃したことがあるし、よく見かける近所の人でもいつもノーリードで犬を散歩させている人もいるが、よほど親しくなければ直接注意はしないし、他の人が注意しているのを見たこともない。

それが、ブログに書かれたとたん、非難の嵐が巻きおこり、直接その現場を目にしたわけでもない人が警察に通報したりする。通報された警察だって迷惑だろう。

私が疑問に感じるのは、ブログに書かれたことが事実なのかどうか確かめないで行動に出る、ということだ。実際に放し飼いにしているのなら非難されるのも当然なのだが、写真と文章だけでその行為を判断するのは非常に危険なのではないかと思う。ブログを書く側の心理として、注目されたいがために多少誇張することだってあるし、他人に配慮して事実を多少変更することだってある。実際には家族の話でも知人の話ということにしたり、もらったトウモロコシを半分は親戚にあげちゃったとしても山盛りの写真を載せて全部我が家で食べました、と書くことだってあるだろう。

犬を放し飼いにした人も、もしかしたら実際には写真を撮るときだけリードを外して、あとはきちんとリードを着けていたかもしれない。…とは考えないのだろうか。

本の中には、mixiの日記に、バイト先のファーストフード店でゴキブリを揚げたと書いた高校生が、大騒ぎされた末に高校に迷惑をかけたという理由で中退までした例があげられていたが、結局、日記の内容はウソだった、というオチ。ウソを書いたことで中退までするなんてばかばかしいと思う。書いた本人もバカだと思うが、そこまで追い込んだ人たちもどうかと思う。それこそ、見てたんかいっ!? と言いたい。自分にはまったく関係のない場所で起こった出来事を、ネットで知ったというだけで大騒ぎして通報するのは…バカではないのか。

もちろん、通報したっていい。しかし、それなら、現場まで出向いて事実関係をきちんと把握した上で本名を名乗って通報するのが筋だろう。そこまでできないのなら、ネットにバカなこと書いている高校生がいるよ、と笑って読み飛ばせばいいのである。

例を挙げ出せばきりがないが、この本の内容には共感するところが多くて久しぶりに一冊を一気読みしてしまった。著者と同年代で、ヘビーユーザーだということが大きいと思う。これを、ネット幻想を抱く大企業のエライ人に読ませたとして、どこまで理解できるのかは疑問だが、具体的な事例や数字を駆使して「ネットはくだらない」という真理をつく本書はとにかく痛快で、すかっとした気分になったのだった。

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ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)

  • 梅田 望夫(著) 
  • 筑摩書房
  • ¥ 798 [新書] 2006-02-07
  • ISBN:9784480062857 / ASIN:4480062858
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ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

  • 梅田 望夫(著) 
  • 筑摩書房
  • ¥ 777 [新書] 2007-11-06
  • ISBN:9784480063878 / ASIN:4480063870