最後まで違和感◆『永遠の0』百田 尚樹

買ったまま積ん読になっていたのだけど、その間にベストセラーになり著者や作品について賛否両論がわき上がってしまい、先入観なしに読めなくなってしまったのは残念なところ。なるべくフラットな気持ちで読もうと思ったのだけど、無理だった。というか、フラットな気持ちで読んだ結果、冒頭からすでに違和感があって、それは最後まで変わらなかった。

たしかに感動的な話にはなっているのかもしれないけれど、とても中途半端というか、盛り過ぎというか。

現代に生きる若者が特攻で亡くなった祖父について、かつての戦友達を訪ね歩いて話を聞くのだけど、戦争体験者たちの語り口が、ドキュメンタリー番組のナレーションみたいで、リアリティーなし。つまり、作者が、太平洋戦争についての自分の知識や考えを小説という形で語りたかっただけなんじゃないかと思ってしまった。

そして、小説の中で、戦後生まれの若者が、戦争体験者の話を聞いて泣く。これも、あざといというか、わざとらしくて、自作自演のよう。読者に、「ほら、ここ、泣くとこ」って言ってるみたい。

中途半端というのは、小説にしては本筋に関係ない戦争についての情報が多いし、戦争についてのノンフィクションにしては創作の部分が多いし、で、どっちつかず。これが逆に、小説としても実録としても読める、とお得に感じる人もいるだろうから、そういう意味では盛り過ぎとも言える。

史実をもとにフィクションを交えて小説にする、というのは悪いことではないし、よくあるとは思うのだけど、そこに、著者の考え方というか、史実の捉え方が出てくる。だから面白い。そしてそれが万人の共感を得られない考え方であることも当然あるわけで、この小説の場合は、娯楽だから、フィクションだから、と見過ごせない「偏り」がそこはかとなく漂っている、それが批判を受けている部分なのだろうと思う。

これは「反戦小説だ」という人もいるし、「戦争賛美だ」という人もいる。私個人としては、「反戦小説」だとは思わなかった。特攻という作戦に対しての批判は描かれているけれど、戦争自体は否定していない。国のため、家族のために命がけで戦うことに対してはむしろ賞賛しているようにも思える。

事前の「先入観」もあったので、比較的注意して読んでいたと思うのだけど、戦争体験者の話の中に、特攻への思いはさまざま語られていたけれど、戦争をしたこと自体への反省とか、開戦を選んだ政府への怒りみたいなものはなかったような気がする。

世の「男の子」は「戦闘機乗り」とか、「空中戦」とか、「零戦」とか、カッコイイと思うんだろうな。私も、宮崎駿監督の「紅の豚」は好き。この小説には、そういう「男の子」心を刺激する要素もあるようなのだけど、それだったら、「紅の豚」のように完全にファンタジーの世界にしてくれたほうが心置きなくのめり込める。

結末まで読めば感動するよ、という人も多いけれど、最後まで読んで、「これって、感動する話なんだろうか…」とすっきりしないままだった。零戦のパイロットが、最後までヒーローとして扱われている。命がけで戦った彼らに対して尊崇の念はあるけれど、同時に、そのような犠牲を強いてしまった戦争をしたことへの反省も必要だと思う。この小説では、反省の部分がとても薄い。だから違和感を感じる。本当の戦争って、もっとドロドロとしていて、もっと悲惨で、もっとやりきれないものだと思う。