しがみつかない生き方―「ふつうの幸せ」を手に入れる10のルール (幻冬舎新書)
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香山リカさんの本を初めて一冊通して読んだ。この方、新聞や雑誌、テレビなどではちょこちょこお見かけしていて、気になる人ではあった。著作も、まったく興味がない分野ではないので書店で物色することも多々あったのだけど、どうもぱらぱらとめくってもピンと来るものがなく、購入までは至らなかった。
この本は新聞の広告に載っていた目次で「<勝間和代>をめざさない」という章があって、それが気になって買ってみたのだった。
香山さんが書く新聞の記事などでもそうなんだけど、言っていることは的を射ていて、いまの社会を問題点を突いていると思うのだけど、なんとなく「だからなに?」という結論なのだ。人によっては「なるほど」と目からウロコも落ちるのかもしれないけれど、私の場合は、「私が考えていたことと同じ〜。…で?」。
つまり、結論に斬新さがなくて…。斬新さがないというか希望がないというか。要するに、この本でもそうなんだけど、すばらしい夢や希望なんて別になくてもいいんだよ、普通でいいんだよ、…って言っている、そのことは確かに共感できるのだけど、それだけではあまりにも寂しすぎる。やっぱり、壮大な夢はいらないし、<勝間和代>になる必要もないけれど、それでも生きていく上での“ちょっとした幸せ”っていうのは必要。その“ちょっとした幸せ”や“ちょっとしたユーモア”みたいなものが…香山さんの文章にはあんまりない。
読んでいて、自分にとってプラスでもマイナスでもないゼロの文章。私が考えたことのそれ以上でもそれ以下でもない感じ。もちろん、私よりもずっと教養がある香山さんなので、いろいろな方面からの引用を多用していてまったく得るものがないわけではないのだけど、「うんうん、それって私もそう思ってた。… で?」なのだ。
恋愛・子ども・仕事・お金にしがみつかない。老・病・死で落ち込まない。ものごとに白黒つけない。欲しいのは普通の幸せ。
これって、私がいつもブログで書いている「ゆるゆると…」の精神ではないか。がちがちに自分を縛り付けると苦しい。どこかに逃げ道がないとストレスが溜まる。だから、「ゆるゆると」なのだ。いちいち全力投球していたら身体がもたない。誰もが<勝間和代>のようにバリバリ生きていけないし、その必要もない。ゆったり生きるのもいい。
「生まれた意味を問わない」という章もある。これは私も書いたことがある。生きていることに意味なんてないのだ。よく、大病した人に対して「神様が、耐える力があるからその人を選んで病気を与えたんだよ」と励ます人がいるけれど(私も言われたことがある)、そんなことはない。だって、若くして亡くなっている人だって大勢いるじゃないか。その人たちは耐えられなかったってことだ。神様の読みが間違っていたってことなのか? そうじゃない。病気になったことに意味なんてない。生きていることにも意味なんてない。ただ、その意味を生きている間ずっと、探し続けることが大切なのではないか、と思う。強いて言えば、それが生きていることの意味。そして万が一、答えを見つけてしまったら、人生はつまらないものになってしまうような気がする。
香山さんの論調も似たようなものではあるのだけど、なんとなくネガティブなんだよなぁ。文章が。「そうか、意味なんて探さなくていいんだ!」って元気になる感じじゃなくて、「意味を探すことなんて無意味」と突き放されているような。
最後に「<勝間和代>をめざさない」という章。勝間さん本人に対するものなのか、その勝間さんを信奉する“カツマー”と呼ばれる人たちに対するものなのか、あいまいな部分もあるのだけど、「がんばれば努力が報われる」というのはウソ、というメッセージ。いくらがんばっても報われない人はいる。…そりゃそうだろう。そして、「がんばれば夢はかないます」と言う人に対しては、たとえ「そんなことはない」と言っても通用しない、という。
まぁ、そうなんだろうけど。私はそれでも「努力すれば夢はかないます」と強烈にアピールする人が、世の中に何人かいてもいいと思う。そしてその人に憧れる人がいてもいいと思う。ただし、<勝間和代>本人には絶対になれない、という自覚は必要。あくまでも「憧れ」だ。あまりにも<勝間和代>に縛られると、そうなれない自分に対してストレスが溜まるから。
きっと、香山さんもそういうことが言いたかったのではないかと思うんだけど、…なんか違うんだよなぁ。
そういえば、勝間和代さんも今気になっている人ではあるんだけど、書店で本を見ても買うところまではいかない。テレビや新聞で見たり読んだりすると、この方も、言っていることは共感できるし、今の社会をうまく捉えているなぁと思うのだけど、香山さんと同じで「で?」と言いたくなる部分も多い。
なるほど。勝間氏と香山氏は似たもの同士なのかもしれない。それで著作に登場したわけか。人は自分と似ている人が気になるものなのだ。この2人は、コインの裏表なのかもしれない。そう考えるとおもしろい。