いままで気になりつつも一冊も読んだことがなかった椰月美智子作品。地元・小田原出身、在住の作家さん。この作品は、小田原を舞台にした作品を、というオファーに答えて生まれたそうで、実在のお店や地名がたくさん出てくる。
しかし残念なのは、この作品が書かれたあとになくなってしまったものも多いこと。まず、小田原城趾公園にいた象のウメ子は2009年に亡くなってしまった。そしてその城趾公園で毎年開催されていた薪能も2010年からは中止されている。作中に登場するお店はどれも実在するものだけど、駅前のファーストキッチンは入店していたビルの営業中止のためにいまはもうない。ビルは老朽化のため建て直されるらしい。
ほかにもなくなってしまったものがあるかもしれないが、私もよく行くRYOという創作和食のお店は今も営業している。作中に出てくる他のお店は知ってはいるけど入ったことがなくて、RYOだけはよく行くお店だった。同じ小田原に住んでいても、その人の好みや行動パターン、職業などによって馴染みのお店が違ってくる。当たり前なんだけども、椰月作品を通して小田原という街が描かれると、なんだか自分の知っている小田原とはまた違った街に見えてくる。地元だからこそ描ける、ステレオタイプじゃない小田原。住んでいる人にしかわからない街の匂いが伝わってくる気がした。
主要な登場人物4人は男女の二組のカップルなのだけど、もともとは同じ職場にいたという設定。小田原で、若者達が同じ職場というと、違和感がないのが美容室や飲食店、医療関係。小田原に住んで横浜、東京方面に通っている人も多いので、地元に住んで地元で働いている若者というと職業が限られてきてしまう。そういう意味で、登場人物たちが働いているのが老人介護施設だというのは、ある意味とても納得できる設定。そして、お店とかではないから、普通は会わないけれど、もしかしたら本当にこういう人たちがいるかも、というような気になってくる。
薪能は実際に見たことはないのだけど、一度は見てみたいと思っていた。なのに中止されてしまって、財政難でもこういう文化的なものこそ残していかないといけないのに、と友人と話していたのだった。そして、たしかその友人が観に言ったときに、役者さんが舞台から落ちたという話も聞いた気がして、小説の中にも同じエピソードが出てきたときに、ああ、椰月さんはあの年の薪能を観に行ったんだなぁって妙に現実とリンクしてしまった。
自転車で家から職場まで出勤するシーンも、前半は高校時代に通勤途中の両親の車に乗って学校まで送ってもらう途中の道で、後半は今、通っている鍼灸院までの道だったりして方向音痴の私が、頭の中で道筋を思い描けるくらい鮮明に風景が見えてしまった。作中で登場人物たちが駅伝の観戦をする山王橋もバスでいつも通る場所。その先にある大きな酒匂橋ではなく、小さな山王橋を選んだっていうのも地元っぽい。
この作品をドラマ化したらやはり小田原でロケをするんだろうかとか、邪念にさいなまれながら読み進んだ。
ストーリー自体はドロドロでもなくロマンチックでもなく、爽やかな青春ものというわけでもなく、でもつまらないというわけでもなく、ああ、これが椰月作品なのかぁという感想。日常の些細な風景を描いているのだけど、普通の人たちが言葉にできない(しない)ようなものをうまく表現してくれている感じ。あ、そうそうこういうことが言いたかったのよ、みたいな。そんなに大きな声で主張するようなことじゃないんだけど、胸の奥にひっかかっていた言葉にできない感情をふっと解きほぐしてくれるような。
マッサージに行ったりエステに行ったりして、ああすっきりした、というような読後感。しばらくしたらまた行こうかなって思うような。
まぁ、一冊しか読んでないからわからないのだけど。入試問題に多く採用されているっていうのは、難しい言葉を使っていなくて、わかりやすい文章だからなのだろうな。クセがないから、スキキライが大きく分かれることもなさそう。…そんな風に分析しながら読んでいる自分がなんだか姑息でイヤだというのはあるけれど、他の椰月作品も読んでみようと思う。
※文庫版は単行本版の「坂道の向こうの海」を改題したもの。